
東京女子医科大学 循環器内科
中尾 優(第24期)
皆さんお久しぶりです。23期で入学、1年休学し24期の皆さんと卒業した中尾です。文章構成関係なく、思ったことをつらつらと書かせていただきます。
私は岡山県出身で推薦入試を使って島根大学(当時は島根医大)に入学しました。大学2年の時には(中2病なのでしょうか)人生に疑問を持つようになり、大学を1年休学し海外を放浪し、計7年でなんとか大学を卒業しました。大学時代は宮本かんゆう、能木場とよく遊びました。毎日昼に起きてキュウザン(大学の前のデカ盛り店)でご飯を食べる、スロットに行く、ドライブ、麻雀をするなど・・・大したことはしていないけれど本当に楽しい想い出しかないです。加藤の家にもよく遊びに行かせてもらいました。中島(10年ほど前に会った時Pontaカードで節約していると聞き、学生時代とのギャップに驚きました)やしぎちゃんは、最近どうしているでしょうか。平松さん、黒井さん、かなちゃんも元気かな?星さんは一緒の病院で働いています。みなさん、連絡待っています。
島根大学卒業後、「何がやりたい」というわけもなかったのですが、なんとなく東京で働いてみたくて東京都中野区にある小さな市中病院で臨床研修を行いました。その時の指導医の勧めで東京女子医科大学循環器内科に入局することになり、その後は大学(2年)→済生会熊本病院(2年半)→相模野病院(半年)→大学(2012年〜現在)という経路をたどっています。
こうして書いてみると医者になってからの10年以上というのは「あの病院は楽しかったな」とか「あの時期はきつかったな」くらいは思い出しますが、大した思い入れもなく、対して島根大学で過ごした7年間に関しては思い出すだけで甘酸っぱいというか、色々な感情が思い出され、少し涙が出そうになります。
大学生活というのは人生のハイライトというか、最後の青春時代なのかもしれません。毎日暇ですることが何もない、何も持たない、徒手空拳の時代がいかに尊く、貴重だったか。
そして大学生活を思い出すと、避けて通れないのがイスラエルで急死した同期の福島のことです。以前の同窓会報で加藤が福島について書いていた文章があり、しばらく眺めて色々と考えてしまいました。自分の大学での人格形成(大げさですが・・・)に最も影響を与えたのは、間違いなく彼でした。大学時代は彼に負けたくない、認められたいという気持ちが自分を必要以上に大きくみせるような行動につながったように思えます。彼以上に滅茶苦茶な人間は見たことはありません(褒め言葉です)。あの時代にTwitterやInstagramがあればインフルエンサーになっているかもしれません(もしくは迷惑系YouTuber)。あの世で会ったら「中尾もつまんない人間になっちゃったな」とか「まあ、お前はその程度だよ。だせえ奴」とか言われるんでしょうね・・・想像したらムカついてきました。
ということで、ひたすら思ったことを書いていきました。最後に現況ですが、なにかと悪いニュースの多い東京女子医科大学病院でずっと働いており、子供は3人(女、男、男)います。こうして文章を書いていると大学生活が人生のピークでその後は消化試合的な感じにみえてしまうかもしれませんが、今は息子の目を通して幼少期からの人生を再度体験しているような気分で、これも悪くないです。
そして福島のこと、大学時代のことを思い出すと、「これからもチャレンジしていかなきゃな」と、仕事的にもまだまだ坂の途中ですので改めて感じました。この度は貴重な機会をいただきありがとうございました。