柿丸 裕之(第14期)

近況報告 人生の後半戦を迎えて

国立病院機構 浜田医療センター 整形外科 
柿丸 裕之(14期)

 

 14期生の皆さん,平成7年卒業の皆さん,お元気でしょうか?
 早いもので卒業から26年,いつの間にか50歳を過ぎました。人生半世紀,医者生活四半世紀が過ぎ,人生の後半戦を迎えたことになります。同期の皆さんは,それぞれの場所でそれなりの役職に就いてご活躍のことと思います。
 私は現在,出身地の島根県浜田市にある国立病院機構浜田医療センターで整形外科医として勤務しています。卒後6年目で大学院生となり約10年間大学で研鑽を積み,2010年から浜田に赴任しました。当院は島根県西部唯一の三次救急施設で,救命センター,回復期リハ,地域包括病棟を有し,急性期から慢性期まで一貫して治療が行える,田舎ではありがたい病院です。整形外科は高齢者の骨折が入院の半分を占め,最近は90歳以上の頚部・転子部骨折が増え,高齢者の外傷と格闘の日々です。その中で私自身は脊椎,人工関節を中心に診療を行っています。赴任当時は手術数も少なく広島や島根県東部で手術を受けていた方が多かったのですが,少しずつ手術症例が増えてきました。浜田の患者さんが地元で治療が完結できることを理想としてがんばっています。
 50歳を過ぎると体の色々な変化に気づきます。目の老化か抜糸が苦手になり,手のしびれ,慢性的な体の痛みなど,体のケアが大事なことを認識しています。私が毎日実践していることは,糖質制限,階段を使う,筋トレ,シャンプーレス(湯シャン)です。大学時代はちょいデブでしたが,やがてメタボ体型となり不整脈が出るようになりました.死の恐怖を感じた時に始めたのが糖質制限でした。米,ラーメン,パスタなど炭水化物を控え,1年で約10㎏減量できました。すると不整脈はパタッと消え体調も良くなりました。筋トレも毎日短時間ですが継続し,体重は高校生に戻り,体脂肪率は12,3%を維持しています.糖質制限には異論もありますが人体実験と考えて今後も続けていきます。院内ではできるだけ階段を使って足腰を緩めず,病院の電気代節約に貢献しています。整形外科医がデブでは患者さんに示しがつきません。湯シャンは元気のない髪にわずかながらの活気を与えてくれており白髪は目立ちません。環境にも経済的にもやさしいので,興味ある方は是非やってみてください。結局変人でケチなだけなのかも知れませんが。
 今までの人生を振り返ると,大学時代にバブルは弾け,卒業から今まで賃金も物価も上がらず税金だけは増えていく中で我々は生きてきました。今後もコロナのつけ,2025年問題などで日本は更に厳しい時代になります。医師の環境も劇的に変わっていくことが予想され,アナログ世代の我々が時代に取り残されずに生き残って行けるでしょうか。人生100年時代で50歳はまさに人生の転換点です。論語では「四十にして惑わず。五十にして天命を知る」とあります。振り返って40代は不惑とは程遠い年代だったし,50代になっても天命を知ったことはありません。天命とは天から与えられた運命なのか寿命なのか分かりませんが,医師の使命とすれば,日々出会う患者さんを救うことが自分の使命であり天命なのかも知れません。自分にとって厳しい時代の中,分をわきまえ,徳を積み,今後も新しいことにチャレンジしていく精神で,まずは50代を乗り切ろうと思っています。
 数年前から数少ない大学時代の友人たちと野球観戦と飲み会をしていましたがコロナで中断を余儀なくされました。今年こそは集まりたいですね。コロナが普通の風邪になり,今の大騒ぎが忘れられるような日が来ることを願っています。最後に,くれぐれも家族と自分の体は大事にするよう皆さまにお願いして,近況報告といたします。

 

 

 

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