
東京女子医科大学 麻酔科学教室
古井 郁恵(旧姓 星)(第23期)
この度は萌雲会報への寄稿の機会を頂き大変光栄に存じます。出雲でのややほろ苦い思い出と近況報告をさせていただきます。
学士編入学の試験は10月だったと記憶しています。当時の私は(今もですが)相当マイペースで、出雲行きの飛行機が満席になることはないだろうと高を括っておりました(陳謝)。学生料金で乗るつもりで予約もせず、試験前日羽田空港へ。出雲最終便はキャンセル待ちで、なんと私の前までで満席になり乗れませんでした。他の手段もすでに間に合わず。結局、試験当日、朝一の飛行機で出雲入りして空港からタクシーを飛ばし、集合時間ギリギリ10分前に滑り込みました。なんとか1日目の筆記試験を終え、もう二度と出雲に来る機会はないかもしれないと思い、2日目の面接前に出雲大社へ詣でました。一畑電鉄の車窓の金色の稲が波打つ美しい風景に心奪われました。大社の大鳥居の下に立つと、荘厳な雰囲気に圧倒されました。参道を歩いていると雲の間から一筋の光が差しこみ、それがワーッと放射状に広がって空が明るくなり、「ここには神様がいるんだ」と感じたのです。その後の面接は落ち着いて受けることができ、「なぜ医師を志すのか」との問いに「医師である父が家で愚痴を言いながらも辞めずに続ける理由は、自分がやってみないとわからないと思うから」と答えたのがよかったでしょうか、入学を許していただきました。
1年目は正直辛かった。次々と襲ってくる試験の波に完全に飲み込まれ、毎回合格ラインより下に自分の名前を見て絶望し、学士編入学仲間たちからも遅れをとり、同級生の慰めもつらく感じるほどでした。組織実習では隣の席の平松さんに、「ヒゾウって1コ?2コ?」とアホな質問をしたことを覚えています。今振り返るとなぜあんなにも要領が悪かったのか不思議ですが、初めて親元を離れての一人暮らしもあり、環境や生活の劇的な変化に対して適応障害になっていたのかもしれません。布団に入ると涙があふれて寝付けず、座ったまま眠ったりしました。ニュー矢田荘の隣の田んぼから聞こえるカエルの大合唱が懐かしく思い出されます。
2年目からは少しスケジュールが緩くなり、2回目のキャンパスライフを楽しむべく部活に参加しました。馬術部は早朝の馬のお世話ができずに幽霊部員になってしまいましたが、銛部ではきれいな海と美味しい魚と楽しい仲間たちに癒されました。日御碕近くの小さな海水浴場でアルバイトをしたり、出西窯の炎の祭りで手伝いをしたり、クラスメイトと温泉に行ったり、境港の漁港で買った鰤を丸一尾捌き、鍋やお刺身にして皆でワイワイ食べたことが楽しく思い出されます。
卒試の時期にはプライベートでの波乱もあり、ほとんどの科目で再試験になりました。後で聞いた話では、卒業自体が危ぶまれ教授会で審議されたそうです。救ってくださった先生方、本当にありがとうございました。成績下位10名が学長室に呼び出され、当時の永末学長に「10人のうち8人は(国試に)落ちるから」と喝を入れていただいたおかげで、なんとか国家試験に合格することができました。
卒後は東京都立府中病院(現多摩総合医療センター)で初期研修後、東京女子医科大学麻酔科に入局し、現在に至ります。手術麻酔、ペインクリニック、緩和ケアや栄養サポートチームにも関わらせていただき、手広く活動をしています。趣味で漢方の勉強も始め、ペイン、栄養、緩和に活用しています。いつしか学生の講義も担当する学年になりました。出雲の地で頂いたご縁をお返しできるよう、これからも精進していきたいと思います。
最後になりましたが、こんな私を迎え入れ、そして送り出してくださった《医の扉》と出雲の神様のご縁に、心より感謝申し上げます。萌雲会の皆様のご健勝とますますのご活躍をお祈り申し上げます。