
のむらニューロスリープクリニック
野村 哲志(15期)
皆様こんにちは。15 期生の野村(ネジ)です。今年度で50歳になります。
平成8年卒業後、母校脳神経外科に入局しましたが、自分の将来像が見えず1年で転科しました。同期で一番初めに入局し、退局しました。
第三内科転科も考慮しましたが、同じ病院内では迷惑と思い、鳥取大学脳神経内科(中島健二教授)に平成9年入局しました。再度研修後、平成10 年より大学院に進学しました。電気生理学研究を行い経頭蓋磁気刺激を用いて、脊髄小脳変性症への運動機能評価で平成12年学位習得しました。大学院在学中に精神科井上雄一講師(現東京医大睡眠学講座教授)と睡眠研究も開始となりました。井上先生の奥様は3 期生の故井上匡子先生で、東京、がいな祭り、水郷祭もご家族とご一緒させていただきました。大学院卒業後は済生会境港病院、鳥取医療センター、米子医療センターと勤務しながら、睡眠研究も継続していました。
平成18年より鳥取大学脳神経内科に戻りました。パーキンソン病を中心とした神経変性疾患の睡眠研究を継続し、学会のシンポジウムで発表する機会もいただけるようになりました。平成19 年の国際シンポジウムで同席したインスブルック医科大学Werner Poewe 教授に懇願して、平成21年2月~6月までインスブルックに留学させていただきました。 (本当はNFLを観るためアメリカが良かった)。こちらにも睡眠研究で有名なBirgit Högl准教授、Birgit Frauscher准教授が居られ、お世話になり臨床研究もできました(私は片言のドイツ語で患者さんの臨床症状、検査を行いました)
薔薇色の留学生活かと思いましたが、冬のオーストリアは厳しく、家族皆うつっぽくなってしまいました。しかし、気分を変えるために、週末レンタカーで、オーストリア1 周、ドイツ、スイス、イタリアと旅行をして、いい思い出にもなりました。
鳥取大学脳神経内科勤務に戻った後は、主にレム睡眠行動障害(夜間に夢を見て暴れる病気)からパーキンソン病等の神経変性疾患への移行に関して、疫学、スクリーニング、睡眠ポリグラフ、治療を研究しました。国内外のいろんな先生と出会い、議論し、将来の医療を夢見ていました。3年間の医局長中に学会運営や教授退官業務を経験後、
自分の限界を感じ(P47、IF150)、Poewe教授にも挨拶の上で大学を辞めることにしました。
平成31年4 月米子市安倍に神経内科、睡眠医療を中心にのむらニューロスリープクリニックを開業しました。大学からの継続の患者さん以外に多数の睡眠障害の患者さん(不眠を中心に)を診させてもらい、日々患者さんから勉強させてもらっています。睡眠医療は認知も低く、片手間に治療されているのが現状です。また、睡眠障害は神経変性疾患だけでなく、脳血管障害、認知症のリスクになる可能性もあるため、将来を考慮した診療を心掛けています。
振り返ると、想像もしなかった面白い人生でした。一臨床医の予定が研究者として約20 年仕事をし、英語が苦手だったのに、国際シンポジウムや留学も経験できました(24 ヶ国)。車の運転上達のために始めたレーシングカートも自分や子供でレースに出場し、こちらも20年以上続けてしまっています。
コンピューターの世界も進歩し、インターネットで簡単に最新の情報が手に入り、オンラインで遠方の人ともコミュニュケーションが取れ、ゲームの世界でもVR を使って仮想世界をリアルに体感できます。今後はAI の普及によりさらに進歩した世の中が進んでいくと考えられます。50 近くになり、身体のいろんなところに病魔が出現し、それをコントロールしながらの今後の人生ですが、わがままな『ネジ』とそれを許容してくれる『ゆかいな仲間達』と共に、『ゆかいな王国』で自分のできる医療をまっとうできるよう奮闘していこうと思っております。
皆様もお体に気をつけて、近くて遠い米子より一層のご活躍を祈念しております。