
島根大学医学部附属病院整形外科 助教
河野 通快(第22期)
22期の河野通快(こうのみちはや)と申します。私は兵庫県の出身で1997年に入学して以来、島根県での生活は25年になりました。入学試験の面接では志望動機を質問され、受験生向けのパンフレットで強調されていた「地域医療」についてお答えしたことを記憶しています。同じくパンフレットに掲載されていた部活案内の写真を見て、全く馴染みのなかった弓道に魅力を感じ、大学時代は弓道に没頭しました。弓道部ではその後も長いお付き合いとなる先輩や仲間、地域の方々との出会いに恵まれました。
5年生の整形外科の臨床実習では頚椎症性脊髄症の症例を担当し、術後に劇的に神経機能が回復する様子を目の当たりにして、現在の仕事となる脊椎外科医をこころざし整形外科に入局いたしました。整形外科学教授は弓道部のOBでもいらっしゃる内尾祐司先生で、弓道部のOB会長の西川梅雄先生は整形外科の同門会長でもあり、思いがけないご縁がございました。同門の脊椎外科は岩田淳先生が先駆者でいらっしゃり、私は新人の頃に謦咳に触れ、お勧めを受け2年目に日本脊椎脊髄病学会への入会を果たしました。その後、大学の脊椎外科は松崎雅彦先生、柿丸裕之先生に引き継がれ、お二人の先輩から10年以上にわたって顕微鏡手術を含めた脊椎脊髄外科の基本を教えていただきました。
また、初期研修中には高尾昌人先生から足の外科のご指南を受け、2-3年目で赴任した大田市立病院では内藤浩平先生から整形外科のいろはを教わりました。4年目から大学に戻り森隆治先生のもとで基礎研究の機会をいただきました。大学院在学中には奥出雲病院や隠岐病院で大変お世話になり、山間部や離島地域の医療を経験しました。隠岐病院在職中には村川洋子先生にご講演やご指導をいただく機会があり関節リウマチの外来診療にも携わりました。
2011年に隠岐から大学に戻りました際に、教室の交流が深かった生化学講座にご採用いただき、土屋美加子先生のご配慮でこの1年間に重要な仕事が前進しました。
2012年には内尾祐司先生のご推薦で和歌山県立医科大学に国内留学して脊椎内視鏡手術を学ぶ機会をいただきました。これは日本脊椎脊髄病学会のクリニカル・フェロー制度に基づく脊椎外科研修で吉田宗人先生、山田宏先生をはじめとした和歌山県立医科大学整形外科のご同門の先生からこの上ないご指導をいただくことができました。脊椎内視鏡手術は簡単な手術ではありませんが、低侵襲であるため高齢者の多い島根県には馴染みやすい治療であると実感しています。整形外科の専門分野のうち脊椎脊髄外科は心身ともに耐久力が求められる領域ですが、近年は若手医師の脊椎外科研修の機会も増え、彼らの臨床面での成長を頼もしく思っています。
今までを振り返りますと、苦境に際しても折々で手を差し伸べてくださる恩師や仲間に巡り合い、人生の扉を開いていただきました。本当にありがとうございました。不惑を迎えてもなお学生時代の仲間と一緒に仕事ができましたことはとても幸運なことと感じています。親身になって支えて下さった方々に感謝し、1日1日を大切に過ごしていきたいです。ご卒業生の皆様のご健康とご発展をお祈りしております。