三宅 達也(第14期)

近 況 報 告

島根県立中央病院 肝臓内科部長 
三宅 達也(第14期)

 

三宅 達也(第14期)

 同窓会の皆様ご無沙汰しております。私は1995年に島根医科大学を卒業し、第2内科に入局しました。指導医の赤木収二先生に1年半ほどご指導いただいたのち、三原市の興生総合病院で2年半、島根県立中央病院で1年研修医として勤務、益田地域医療センター医師会病院で内科医として3年勤務し、その後大学に戻りました。大学では肝臓を専門として現出雲市立総合医療センター院長の佐藤秀一先生にご指導いただきながら約13年間にわたって臨床、研究に携わり、ラジオ波焼灼療法の研究で学位も取得させていただきました。またC型肝炎罹患率の高い浜田市三隅町のウイルス肝炎対策審議会員として、未治療のC型肝炎患者を掘り起こし受診受療に繋げるためのシステム構築や啓発活動にも約10年間従事しました。大学に戻った当初の予想に反し、長期間大学で勤務させていただきましたが、2016年末ごろ当時教授をされていた木下芳一先生から関連病院への異動のお話があり、もともと臨床肌でしたので引き続き消化器中心の診療をしたいと考え、島根県立中央病院を希望させていただきました。2017年4月から県立中央病院に新設された肝臓内科に配属となり、現在は消化器科、内視鏡科の先生方と共に、総勢12名で消化器疾患診療に勤しんでいます。肝臓内科と言っても消化器一般外来やルーチンの超音波検査、上下部内視鏡検査から肝癌ラジオ波焼灼療法、経皮的胆道ドレナージなどの専門的処置、消化器癌化学療法、緩和医療まで幅広く消化器診療に携わっています。大学と違い入院患者の約半数は救急外来や消化器外来からの緊急入院患者のため緊急処置を要する患者が圧倒的に多く、年々低下していく体力を恨みつつ多忙ながらも充実した毎日を送っています。
 私生活では、息子二人が小学生から野球を始めたおかげで、週末グランドに顔を出したり球場に応援に行ったりする日々が長年続き、毎年春先から日焼けしていました。息子たちも成長し野球から離れたため週末に少しゆとりができ、そろそろ何か別の趣味を見つけようと思っていたころに新型コロナウイルス感染症が襲ってきました。コロナ禍の規制の中、2年間で新たに始めたことが、①そば打ち、②DIY、③トレッキングです。
 そば打ちは、道の駅で販売しているそば粉を見かけ、習う訳でもなくYouTubeを眺めながら見よう見まねで始めました。最初に打ったそばは、うどんくらい太くしっかりし過ぎた歯ごたえで、とても喉越しを味わうようなものでありませんでしたが、最近は麺の長さは物足りないものの普通に食べられるまでにはなりました。DIYは、簡単に作成できる家具の組み立てをきっかけに始めました。ホームセンターとネットを駆使した独学ですので、今まで作ったものは多少のゆがみや塗りむらなどがある味わい深いものに仕上がっています。トレッキングは楽しみながら体力維持増進を目的に妻と最近始めました。初心者向けの簡単に登れる山から挑戦していますが、低い山でも木々の中の散策や山頂の景色は格別なものがあり、体力と相談しながら続けていきたいと思っています。 島根県は新型コロナウイルス感染者が少なく、私が感染患者を診療することはほとんどありませんでしたので、コロナ禍でも時間を見つけて家族とともに気分転換しながら生活することができていますが、特に大都市の医療機関に勤務され第一線で新型コロナウイルス感染症と闘っておられる先生方は本当に大変な思いをされていることと拝察いたします。この原稿を執筆している現時点(11月)では、コロナ感染者がかなり減少し緊急事態宣言も解除となっていますが第6波到来も懸念されています。一日も早く新型コロナウイルス感染症が収束し、マスクを外して語らうことができる日が来ることを切に願い、近況報告とさせいただきます。

 

 

 

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