亀井 千夏(第16期)

卒後の経過報告

日谷眼科        
亀井 千夏(第16期)

 

亀井 千夏(第16期)

 6期の亀井(日谷)千夏です。
 卒業して何年経ったかはもうあまり考えたくないお年頃です。(笑)
 時の経つのは本当に早く、岩田健太郎先生、神田秀幸先生、鈴木友彰先生など教授として活躍される同級生がいることに尊敬の念を抱くと共に時の流れを感じて驚いてしまいます。
 私個人としては島根医大卒業後は地元の広島大学眼科に入局し2000年に結婚し長男を出産しました。その後さらに次男の出産後には夫の国内留学で東京で2年間を過ごすことになります。当時は研究漬けの夫は家には寝に帰って来るだけの様な状態でしたので私は息子達が病気をしないことだけを祈りつつ綱渡り状態で東京で育児と仕事をしていました。
 さらにその後三男誕生のタイミングで夫のアメリカ留学が決まったので一家5人でアメリカの東海岸ボストンに引っ越すことになりました。当時7歳4歳0歳の3人の息子を抱えて育児が最も大変な時期であったのと就労ビザの問題もありアメリカでは一旦仕事はお休みすることに決めました。おかげでアメリカにいる間に日本ではできない貴重な経験が沢山出来ました。
 まずは何は無くとも英語です。それまでは受験英語だけで「聞く話す」が全く出来なかったので最初は本当に苦労しました。男の子を3人も連れているとエレベーターの中ではかなりの確率で話しかけられるのですが愛想笑いで誤魔化すしかありませんでした。そこで一念発起し、子供達が学校やデイケアに行っている間にハーバード大学のエクステンションスクールの英語のクラスに通いました。これはレベル分けテストを受けて授業料を払えば誰でも受けられます。課題も多くかなりハードでしたがおかげでその分日常会話は楽に感じられる様になりました。
 そしてアメリカでの貴重な体験と言えば今のコロナ禍ではすっかり難しくなってしまった家族旅行です。中でもラスベガスで大型のキャンピングカーをレンタルしての1週間国立公園を巡る旅は最高でした。グランドキャニオンの夕日の美しさと満点の星空は筆舌に尽くしがたい壮大さでした。夫の留学時代の収入は奨学金だけでしたので金銭的にはかなり厳しかったのですが、当時幼かった息子達もこの旅行の事は今でも楽しかったとよく覚えている様ですので結果的にコスパは良かったと思っています。(笑) コロナ禍が落ち着いてアメリカに留学される機会のある先生方は是非行ってみて下さい。

亀井 千夏(第16期)

 帰国後2年間はまた東京にいたのですが2013年広島に戻り実家の日谷眼科を弟と一緒に継承しました。医師としてはこれといって大した実績もない私ですが学生時代に『女子学生諸君は卒業後はとにかく医師を辞めないこと。国の金を使って医者になるのだから細くてもとにかく続けるように。』と言われていましたので、途中お休みする期間はありましたが仕事を続けて現在では毎日50名前後の患者さんと向き合っています。人口26000人ほどの田舎ですが市内唯一の眼科クリニックですのでそれなりに忙しい日々を送っております。
 開業医は日曜祝日しか休みがないのが辛いところですが、小さかった息子達も大きくなり手が離れてきましたので毎週日曜日には学生時代”シュルカメ”で親しんだチェロを地域の弦楽合奏団で楽しく弾いています。島根医大の卒業生の先生方で立ち上げたDNAフィルの秋の演奏会にも参加させて頂く予定でしたがコロナ感染第5波の影響を受けて開催出来なくなってしまいとても残念です。
 感染症が世界を巻き込むこんな時代になるとは学生の頃は思いもよりませんでしたが一刻も早く終息し、再び学生時代の仲間たちと楽しく集える日が来るのを祈りつつ私の拙い卒後の経過報告を終えたいと思います。

 

 

萌雲会 さくら会 思い出写真集