山口 光幸(第9期)

近 況 報 告

富士脳障害研究所附属病院 麻酔科部長 
山口 光幸(第9期)

 

 こんにちは。9期生の山口光幸です。部活はバスケットボール部に所蔵しておりました。私が現在勤務する富士脳障害研究所附属病院は昭和55年(1980年)3月1日、日本で最初の脳神経外科教授となられた東大初代脳神経外科教授の佐野圭司先生が静岡県富士宮市出身であったこともあり富士宮市の現在の場所に、地元の有志が財団法人を立ち上げ設立されました。当初は急性期病床のみでしたが、2002年療養病棟35床、2009年回復期リハビリ病棟45床が開設され、現在病床数160床、職員数約290人の脳神経外科専門病院で2010年には創立30年を迎え30周年記念誌が発行されました。現在の理事長は佐野圭司先生の弟子で東大准教授から杏林大学教授となり杏林大学病院院長(割りばし事件で謝罪会見)を歴任された斎藤勇先生です。研究所所長、病院長、脳外科部長、研修医は東大脳外科医局で、1人研修医が杏林大学より派遣されています。
 これまでの経歴をお話しさせていただきます。平成2年3月島根医科大学卒業。同年6月池田和之教授の主催する浜松医科大学麻酔科蘇生科入局、平成3年7月富士宮市立病院麻酔科研修医、平成4年10月に第1回目となる富士脳研病院に勤務し平成7年麻酔科専門医資格取得、Macによる電子化自動麻酔記録を始める。医局人事により平成8年7月富士宮市立病院麻酔科部長となる。この頃は時代の流れとしてMacからWindowsが主流となり、HP(現Philips)のSE島さんと医局の後輩である中田純先生(現豊橋市民病院麻酔科)と共にArks(anesthesia record keeping system)を開発し、院内で同時に進行していたオーダリングシステムと連携させ1998年から運用開始しました。当時いくつかの全国の病院に納入されましたが、残念ながら現在開発は終了しています。また麻酔中の血圧と筋弛緩の自動制御を行うアプリを作成し現在も使用しています。平成14年10月富士脳研病院麻酔科部長となり現在に至ります。仕事の内容は週3日のオペ日の脳外科手術の麻酔と療養病床35床の病棟管理を行っています。緊急手術もありますが働き方改革の施行を見据え待機可能なクモ膜下出血の手術は夜間に行わず翌日に行う方針となっています。富士宮市立病院時代はペインクリニック外来で神経ブロックや脊髄硬膜刺激電極埋め込みを行っていましたが、現在は行っていません。また静岡県出身の同期は静岡日赤脳外科部長の斎藤靖先生、浜松医療センター脳外科部長の平松久弥先生がいます。
 学生時代は部活以外では部活の先輩の山本さんからスキーウエアを葛尾さんからは板を頂き、自分ではブーツ、ストック、手袋、ゴーグルを購入しスキーを始め、翌年には葛尾さん、今崎さんと北海道ニセコにスキー旅行に行くことができました。夏はウインドサーフィン部に所属し稲佐の浜でウインドサーフィンをやっていました。現在も仕事以外は趣味に没頭し夏はゴルフ、冬はスキーとアルペンノーボードをやっています。バイク大型免許、スキューバーダイビングアドバンスド、パラグライダーパイロット、1級船舶なども取得しましたが現在はやっていません。また機会があればやりたいです。昨今のコロナ禍の影響で最近はキャンプ、魚釣り(海、湖、川でのルアー)、SUPも始めました。これからも仕事と趣味で充実した日を送れるように頑張っていきたいと思います。



写真:前列左端が筆者です
山口 光幸(第9期)

 

 

 

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