
社会医療法人清和会 西川病院 病院長
松本 貴久(第10期)
ご無沙汰しております。10期卒業の松本貴久です。卒業後は本学精神医学教室に入局しました。入局後、本学の助手を経て、広島県三原市の興生総合病院に一人医長として赴任しました。本学を退官された島田宣浩名誉教授がご着任されていた関係で、多くの本学出身者が勤務されていた病院でした。本学出身者のみならず、他大学出身者も含めた他科の先生方との交流は、自閉的になりがちな精神科医にとって有意義な体験でした。そこで3年少し働いたのち、現在の勤務先、島根県浜田市の西川病院に転勤となり、前任地から伴侶を連れて当地に定着して今日に至ります。
西川病院は現在402床(実働は368床)の島根県最大規模の精神科病院で、2021年8月から私が病院長に就任しました。精神科医療においては、地域の中核病院として、軽症から最重症、こどもから100歳以上の方まで幅広く診療している病院です。私個人は、サブスぺシャリーティといえるほどのものはない何でも屋です。かつて老年精神医学会の専門医を取得しましたが、老年精神医学に関する学会ばかりに行く暇はないので、更新をやめてしまいました。成り行きで認知症疾患医療センター長になった今、更新しなかったことを後悔しております。認知症のほかに比較的力を入れているのは、アルコール依存症で、着任以来アルコール依存症の治療プログラムを担当しており、当院はアルコール依存症地域拠点病院でもあります。三原時代は相当の飲んべえでしたが、今では週末・機会飲酒者になりました。
なお、学位は睡眠研究(薬物睡眠脳波)で取得しました。
島根大学とは、地域医療実習が始まる前から、精神科の選択実習としても多くの学生を院内に宿泊込みで受け入れており、親睦会も開いて、のどくろを肴に多くの後輩と杯を重ねました。現在は、コロナ禍でその機会を失われたのは残念です。ちょうどこの原稿を書いている最中に、地域医療実習で、同期の野坂誠士君(岩国市で病院長をされています)の娘さんが当院に2週間滞在され、年月の流れを実感しました。
私生活では、44歳からランニングを始めました。30代は殆ど運動をしないで過ごしたので、学生時代のスリムな体がメタボ予備軍になり、公立邑智病院に診療援助に出かけた折、同期の佐藤仁俊君(当時同院の副院長)から「まつもっちゃん、太ったな~」と驚かれたものです。ちょうど萩石見空港マラソンが始まった年から走り始めて、学生時代ほどスリムではないですが、程よい体形をキープするようになりました。きっかけは健康の為でしたが、フルマラソンでサブ4(4時間切り)を達成してからは、記録は頭打ちになり、健康マラソンから不健康なウルトラマラソンへ関心が移行し、島根県の4つの100kmマラソン(えびすだいこく、隠岐の島、奥出雲おろち、奥島根やさか)を完踏(歩きも混じるので完走と表現するのは遠慮)しました。最長はやまぐち萩往還ウルトラマラニック140kmで、徹夜で23時間以上かけて完踏しました。トレイルランニング(山岳マラソン)にも手を延ばし、ONTKAKE100(御嶽山周辺の林道のトレイル100km)を完踏もしました。すっかりランニング依存症を発病して、休日は走っているか、近隣の山を徘徊しております(そう言えば、学生時代は山岳部員でした)。
さて、島根県西部は医師不足に悩んでおり、私の病院もご多分にもれません。同窓の皆様またはそのお知り合いでご一緒に働ける方(精神科はもとより内科医も歓迎)がいらっしゃいましたら、遠慮なくお声がけください。よろしくお願い申し上げます。