光井 聖子(第29期)

近 況 報 告

岡山赤十字病院皮膚科 医長
光井 聖子(第29期)

 

 お世話になっております。29期生の光井聖子です。このたびはみなさまに近況を報告できる機会をいただき感謝申し上げます。母校の先生方には大変お世話になりましたが、島根県に残ることができず大変申し訳ございませんでした。島根県出雲市は神話の題材となった厳かな空気の漂う土地で、自然も多く、野生の鹿やホタルの大群などを見ることができ、出雲大社などは本当に神様が歩いておられそうな雰囲気があり、とても好きでした。しかしながら私には気候が少々寒く感じられ、もう少し暖かい土地にいったん出させていただくことといたしました。大学卒業と同時に、夫となりました同期の光井聡君の地元の岡山県に移住いたしました。
 そして私は国試に落ちましたので、1年国試浪人を経て社会に出ました。
 岡山大学病院で初期研修をしている間に結婚して、島根大学の同期や後輩の方々からもたくさん祝っていただき、とても感謝しております。ありがとうございます。皮膚科に進むことは決めておりましたので、岡山大学病院の皮膚科に入局いたしました。岡山県内の川崎病院、岡山市民病院、笠岡市民病院を経て、現在岡山赤十字病院にて医長をさせていただいております。専門医資格も取得しました。

光井 聖子(第29期)

 笠岡市民病院では笠岡諸島のひとつ、白石島の皮膚科医療にも従事させていただきました。
 岡山赤十字病院に異動となった現在も縁あって、真鍋島の医療にも従事させていただいております。子供も産まれ、多くの方に助けていただきながらなんとか常勤勤務をさせていただいております。皮膚科専門医の資格もとりました。大変そうなので、自分はしないだろうなと思っておりました大学院にも進学し、現在は仕事と子育てと、ときどきピペットも握ってマイクロリットル、PCRなどつぶやくようになりました。眠った息子を聡君に託し、夜中に一人で実験室にいるのも気分転換になってよいです。とはいえ実験はなかなか過酷であります。全然芳しい結果がでません。大学院を卒業できるかはわかりませんが、がんばります。
 光井聡君も元気です。見た目も性格も変わっていません。彼はいつのまにか大学院に入学し、卒業していました。平日も休日も仕事にいそしんでおり、ふだんあまり姿をみかけないです。
 なので子育ては主に私がしていると言っても過言ではないと思っていますが、今日などは未明にかなり久しぶりに息子がおねしょをしたのですが、私は眠すぎて起き上がることができませんでした。しかし聡君は息子が声をかけると、飛び起きてどうしたの?あらら大丈夫?と優しく声をかけて体を洗って服を着せてあげていました。優しいです。
 義姉も元気です。29期の甲斐沼篤君も元気です。彼はグローバルな世界で働いていてすごいなあと思います。時差をものともせず、ときどき連絡をくれるので、うれしいです。
 皆さまはいかがお過ごしでしょうか。またいつでも良いので連絡歓迎です。またお会いできる日を楽しみにしています。それでは、体調気を付けてお過ごしください。