矢田 由美(第28期)
近 況 報 告
和歌山県立医科大学 外科学第一講座 助教
矢田 由美(第28 期)
島根大学医学部萌雲会の皆様、こんにちは。2009年卒、28期の矢田由美(旧姓 田中)と申します。この度はこのような寄稿の機会を与えていただき感謝申し上げます。
島根大学を卒業してから早いもので13 年近くたとうとしています。卒業後は出身県である和歌山に戻りましたが、懐かしい出雲の地へ一度も伺う機会が持てていません。毎年テレビで放送される出雲大学駅伝に映る周囲の風景を見ては「懐かしいなあ~、あ、あのお店まだある!」などと感慨にふけっています。
まずは仕事面での経過や近況報告をしようと思います。卒業後は和歌山県立医科大学で初期研修を開始し、現在は呼吸器外科専門医として大学病院で勤務しています。Major surgery の中の一つとは言え、元々絶対数の少ない呼吸器外科では残念ながら学会や勉強会で大学時代の同級生や知り合いに会うこともなく寂しい限りです。さて、なぜこの科に行きついたかと言いますと、私が初期研修していたころは呼吸器外科と乳腺外科が共同でオンコロジーチームとして機能しており、女性にdisadvantage が少なくない医師の世界でも需要のある乳腺外科に興味を持ったのがきっかけでした。学生の頃は外科といえば術中ずっと立っていたり先生方がピリッと怖かったりと良いイメージがなかったのですが、検診・読影・診断から手術、化学療法、終末期医療まで一貫して患者さんに関わっている先輩方を見て自分もこういう医師になっていきたいと憧れ、入局を決めました。そして後期研修で乳腺外科と呼吸器外科の両方の修練を積んでいくうちに、肺動脈など血管鞘の薄い膜を剥離していく繊細な手技(もちろん大量出血とは隣り合わせですが…)、執刀医の技術に応じて肺の部分切除から葉切除、気管支形成や肺動脈形成、完全胸腔鏡下手術やロボット支援下手術など、何年たっても飽くことなく様々な難易度や新しい技術に挑戦していける呼吸器外科がとても魅力的に感じ、専攻したいと考えるようになりました。
卒後4年目の途中からいくつかの関連病院で勤務し、30歳の時に看護師の夫と結婚しました。その後しばらくして長男と長女に恵まれましたが、決して若くない年齢での出産・育児のため、日々子供たちの有り余るエネルギーに翻弄されています。その可愛らしさに日々癒され、そして活力をもらいながら、夫や親の協力も得て何とか仕事と育児・家事をこなしています。(というかこき使う鬼嫁と思われているでしょう…ホントに感謝してい
ます。)
そして気が付けば卒後13年目も終わろうとしています。女性外科医が増えてきていますがまだまだ少数派で、私もパワハラ、マタハラ、時にはセクハラなど一通り経験しました。妊娠中の体調不良とパワハラが重なって心身共に非常につらい時期もあり、一時期は外科医をやめようかと真剣に考えました。信頼できる上司に相談したり病休を頂いたり、人事異動もあって今は理解ある上司の方々や後輩達に恵まれ、ここ数年は仕事に責任とやりがいを持って取り組めるようになりました。まだ子供たちが幼く、仕事に専念できる時間も限られる中、育児中でも執刀を継続できるように私の手術を朝1 件目に調整してくださったり、子供たちの体調不良による欠勤や早退の際には管理を任せろと快く引き受けてくださったり、本当に周囲の理解とサポートにはいつも感謝しています。
新型コロナウイルスの流行が始まって2年ほどたち、全国各地あるいは世界各地で奮闘されている同期や萌雲会の先生方に敬意を表しつつ、そのエネルギーに私も活力をいただきながら今後も医師として、呼吸器外科医として、そして母としても成長していきたいと思います。いつかまたどこかで、同期の皆さんと会える日が来るのを楽しみにしています!