黒澤 学(第21期)
近 況 報 告
市立長浜病院 病理診断科 責任部長
黒澤 学 (第21期)

滋賀県長浜市。福井県と隣接する最北端の地。どこの大学からも遠い「一人病理医」だ。その問題点は、「相談相手」の有無ではない。「相談」したら「誤診」された経験は誰にもあるだろう。病理診断が確定する必要十分条件とは何かを、大抵の病理医が理解していないことに起因する。精度の高い診断には、最新の資料とそれに見合う投資(100万円/年ほど)を要する。プロ意識も不可欠だ。「シャーロックホームズ」では頼りない(そもそも薬中)。「ゴルゴ13」が例えにふさわしい。年間1万件の「ゴルゴ診断」を、代理できる者が見つからない。これが「一人病理医」の問題点だ。解決策はあるが、金と時間がかかる。「君のおかげで安心して仕事ができる」と言ってくれた鬼の様な内視鏡医は同志だ。孤独ではないが、そのうち病気になりそうだ。学生時代の病理学は、最も難解な科目で、とにかく授業が苦痛であった。実習の試験では、同じ診断名を何度も書いた。なぞの糸球体が出てくる腎炎の講義中、特濃君に「あれ、分かる?」と聞かれ、「さっぱり」と答えたものだ(原田先生御免なさい)。今では100件/年の腎生検を見ている。IF、電顕の結果と臨床所見をintegrateし、鑑別疾患とそのlikely、合併の可能性を論じている。腎生検こそ病理診断の本道だ。ヅメ君に「肉芽腫って何?」と聞かれ、まともに答えられなかったが、今では明確に説明できる。肉芽組織と肉芽腫の違いも分からない者が病理診断などできる訳がない。学生講義に、各論の説明は不要である。病理医の頭の使い方を説明し、実際にそれを目の前でやって見せた。教授の評価は散々だったが、学生には高評価であった。「腫瘍とはなにか」を質問し、答えられる学生、研修医はほぼゼロだ。血液のデータをまともに解釈できる1年目の研修医は皆無。CPCで散々指摘されると、二年目には多少まともな考察をしてくる。例外はあるが、概して皆有能だ。医学教育に根本的に欠けているものが見えてくる。診断精度の低い病理医が量産されるのは実に納得できる話だ。病理医など増やさなくて良い。精度が上がれば速度も上がる。論点が完全にずれている。
内科医として、初期研修を含め4年働いた。患者の身勝手な言動、元気になる薬を売る者、買う者と接し、30歳になって初めて社会を理解した。一般病院に卒後直接就職したが、その選択は間違っていない。力量は、どこで研修したかではなく、個人の能力とやる気でほぼ決定する。「よく分からないから黒澤先生」とへらへら笑いながら難解な入院患者を押しつけられたが、根性で診断確定した。「ゴミ箱扱い」も悪くはない。医局所属の研修医は、当直を押しつけられたり、訴訟になりかねない症例を持たされていた。どちらの立場が弱いのかは明白だ。私の再診外来に初診患者を無理矢理ねじ混んだ病院と態度の悪い患者に絶望し、いつか国民皆保険を破壊してやろう、などと呪いながら、有利な位置にいる病理診断医を目指した。転科当初は「単なる絵合わせ」だったが、真のルールを発見してやろうと思い、続けてきた。それが分かってしまうとつまらない。もがき苦しんでいた頃が一番楽しく、懐かしい。最早病理診断は自分と社会の関係を作る道具の一つになった。企業への助言は存外に面白い。無償なので、気が楽だ。論文の嘘を暴くのもそれなりに楽しい。そのうち「STAP論文」を「発見」できるだろう。
あまり勉強もせず、かわむ〇君たちや演劇部の皆に見守られながら、バカをやっていた。試験委員長なんて今でもやっているのだろうか。過去問を使ったら全員落第と言われた整形外科の卒試では、過去問を半分だけ配布した(時効であろう)。必死で組んだ試験日程を「これ以上よい日程はないよ」とY田君に言われ、正直ほっとしていた。優しい友人に支えられ、苦しくも楽しい、思い出深い4年間であった。島根医科大学への感謝の念を忘れはしない。