國末 充央(第21期)

 

近 況 報 告

グリーン在宅クリニック 院長
國末 充央(第21 期)

 

國末 充央(第21期)

 皆さん、こんにちは。19期で入学、3年から4年に上がるときに20期になり、4年から5年に上がるときに21期になり、8年間の学生生活を満喫した21期卒業の國末です。
 まさか、僕のところに近況報告が来るとは思わなかったので、感謝です。
 今でも19期、20期、21期の友達、皆さんと今でも交流があって、卒業して20年近く経過すると、留年したことで友達がたくさん増えたなぁ、とこれまた感謝です。
 6年生の9月ごろ、岡山県出身の僕は岡山に戻るか、島根に残るか、どっちがいいのか分からなくなってしまいました。相当悩んだ挙句、10円玉をクルっと回して、岡山側に出たので、そちらを選びました。翌年の6月に倉敷中央病院の外科に就職しました。がん診療連携拠点病院だったので、がん患者が多く、手術、化学療法、緩和ケアと学ばせていただきました。その中で緩和ケアが一番自分に合っていると思いはじめました。その折、倉敷 中央病院の緩和ケア病棟を立ち上げる話が出てきたので、そこに加わる決心をしました。それまでは我流なので日本財団ホスピス研究会の援助のもと、東京の桜町病院で1年間ホスピスケアについて学びました。3人の指導医がいるのですが、患者さんとのやり取りを後ろで3人に全部聞かれます。目の前は死が近い患者さん、後ろはその一部始終を見ている指導医。そういった緊張感の下で研鑽を積むことができました。そこで最も学んだこと は、ホスピスマインドです。それは、「患者さんの価値観に寄り添う」、という姿勢です。それまで丁寧な言葉で自分の価値観を押し付けていただけで、全くできていなかったことに気づきました。 今は、ホスピスマインドを常に意識しながら診療にあたっています。
 1年間の研修を無事に終え、倉敷に戻って、倉敷中央病院で緩和ケア病棟を立ち上げることができました。しかしながら、しっくりこない毎日が続きました。そうこうするうちに不思議と病院を辞めざるを得ないような状況が出てきてしまいました。この病院で働くことを誇りに思っていたので辞めるのはとても辛く苦難でした。しかし、この苦難は幸福の門でした。辞めた後、思いもよらなかった訪問診療の道に進むことになりました。そこに行くと今まで抑えていた自分を表現することが自由になり、自由にすると患者さんたちも喜んでくれ、診療自体がとても楽しくなり、仕事イコール遊びみたいに感じられるほどに充実するようになりました。開業することは学生時代から全く考えてなかったのですが、2019年1 月11日に、倉敷市に「グリーン在宅クリニック」をオープンして、現在4年目が始まろうとしています。“患者本位”、“全人ケア”、“自己重要感”という理念を掲げており、倉敷市の訪問診療の一翼を担っています。僕は緩和医療の専門医を取得しましたが、緩和医療専門医を持った訪問診療医は全国的にも少ないので、緩和と訪問診療を同時に学びたい先生がおられましたら、お気軽に当院にお問い合わせください。
 趣味ですが、社会人4年目に友人の送別会をきっかけに倉敷中央病院でラグビー部を立ち上げました。岡山県大学社会人リーグ2部に参戦し、どんどん勝ち進んで1 部で戦うまでに強くなりました。2019年のラグビーワールドカップ日本大会では、日本対アイルランド戦を静岡まで見に行き、テレビにも映り(笑)、日本勝利の感動で号泣しました。ビール片手にラグビーを見る幸せはこれからも続くと思います。
 43歳までラグビーをプレーしましたが、今はゴルフにハマり、毎週ラウンドしており、片手シ ングルプレーヤーを目指しております。
 こうして今までを振り返ってみても、19期ラグビー部の最高の仲間をはじめ、多くの(留年した分たくさんいるのですが、)同期の仲間や先輩、後輩と出会い、ご縁が続いていることは、本当に幸せで感謝です。また皆さんとお会いできるのを楽しみにしております。