結城 崇史(第16期)
近 況 報 告
松江赤十字病院 内視鏡科
結城 崇史(第16期)
同窓会の皆様、こんにちは。16期の結城 崇史(ゆうき たかふみ)と申します。ちなみに、16期の結城 美佳(ゆうき みか)の夫でもあります。卒後、島根大学第二内科に入局と、島根医科大学大学院に入学しました(現在は、大学名が変わってしまいましたが、、、)。当時は研修医制度が無く、なれない仕事で右往左往している上に、妻との結婚、妻の妊娠、出産など、大変なバタバタで、うれしい中にも大変だった思い出があります。結婚式後にまとまったお休みを頂いたのですが、疲れていたとはいえ旅行等を全くせずに「ず~っと」寝ていたことは、後から思うともったいない過ごし方だったなと、少し後悔しています。その後は、島根大学附属病院を中心に医局の方針等で松江生協病院、松江市立病院などの病院に勤めさせていただきました。松江生協病院には卒後2年目での赴任となり、あまり戦力とならずにご迷惑ばかりかけていましたが、暖かく指導して頂きました。また、消化器分野だけでなく内科全般など他の分野に携わる機会を頂き、いろいろ勉強させて頂きました。聖路加国際病院でも内視鏡研修の機会を頂きましたが、その時に経済的に苦しい僕のために、同窓会の東日本支部役員:細野克彦先生に大変お世話になり、いろいろなサポートをして頂いたおかげで充実した研修を受けることができました。松江市立病院では、丁寧な指導の下に消化器内科の実践的な検査、治療について、沢山経験させて頂きました。島根大学附属病院でも、島根大学医学部内科学講座(内科学第二)の現教授:石原俊治先生などの指導の下、臨床以外にも、研究や教育(今では、ぜんぜん出来ていませんが、、、)に携わらせて頂き、何とか学位も取らせて頂きました。現在は、松江赤十字病院で内視鏡科、消化器内科の一員として、日々の診療を何とかこなしている状況です。
※松江赤十字病院消化器内科ホームページに掲載している写真です。ちなみに僕は、下段、左から2番目の太った中年男性です。

ところで僕は兵庫県出身なのですが、大学入学以降、東京で勤めていた1年間を除くとずっと島根県に住んでいます。その結果、人生で過ごした時間は島根県が一番長くなり、自分自身のことを、自然に島根県人だと思うようになってしまいました。以前からそれほど強く無かった関西弁も、今ではすっかりしゃべれなくなってしまいました、、、。
一方、家庭に目を向けると子供が2人できました。しかし、同じように働いている妻にほとんど家庭の仕事はお任せして、僕自身はぜんぜん役に立っていなかったですが、妻や妻のご両親などのおかげで僕より遙かに立派に育ってくれています。子供の進路については、自分の好きな道に行けば良いと思っていたので特に要望はしていませんでしたが、2人とも大学は医療関係を選んでいます。また僕の大学時代と違い、真面目に頑張ってくれています。これは、親(ほとんど妻だと思いますが)の姿を少しは肯定的に見ていてくれていた結果なのかなとも、思っています。ただ、どちらも県外の大学に行ってしまったので、少し家が寂しくなりましたが、、、。
現在の仕事は、松江赤十字病院で内視鏡部門を中心に、何とか頑張っています。大きな事は出来ていませんが、少しずつでも自分に新しい技術や知識を取り入れて、目の前にいる患者さんに少しでも役立てるように頑張っていければなと思っています。今後、クビにならない限りは松江赤十字病院で勤めていると思いますので、何かあれば、いつでも声をかけて下さい。最後になりましたが、同窓会皆様のご健康とご活躍を祈念致し、近況報告とさせて頂きます。