髙橋 智佐子(旧姓:古堅)(第14期)

3人分の近況報告  
~私と嘉鳥信忠先生(第9期)・馬場基男先生(第10期)~ 

大浜第一病院 皮膚科         
高橋 智佐子(旧姓;古堅)(第14期)

 

 同窓生の皆様、ご無沙汰しております。私は現在、沖縄県那覇市にある病床数214の急性期から慢性期まで幅広く地域の医療を支える民間病院に勤務しています。このたび、本誌への寄稿の依頼を頂きましたので、同じ職場の(眼形成外科)嘉鳥信忠先生と(呼吸器内科)馬場基男先生の近況も簡単に報告させていただきます。
 私は、1995年卒業後、島根医大麻酔学教室に入局し、小坂教授のもとで国立呉病院、昭和大学藤が丘病院、沖縄県立南部病院で研修し、麻酔標榜医を取得しました。卒後4年目に 昭和大学藤が丘病院皮膚科へ転科入局後、結婚。皮膚科専門医取得後は、夫の転勤で、琉球大学、大分別府中村病院を経て、2009年から現職で勤務しています。
 現在は、週5日の午前外来と 同一グループ内の看護学校、リハビリ学校〔PT・OT・ST〕への皮膚科の講義(2コマ/年)、特別養護老人ホームの回診(1回/2ヶ月)をし 非常勤医師として働いています。
 私生活では、3人の母となり、島根愛(中国地方愛)あふれる環境で育てたため、娘2人は、岡山県内在住の大学生で、高1の息子は広島カープファンとなりました。
 最大の関心事は、老後の趣味を兼ねた体力作りですが、3年前に始めたテニスでは、アキレス腱断裂し、ゴルフを始めようとしたら、コロナで外出禁止になり、現在は、テレビで野球を観戦し、運動した気になっています。 続いて 嘉鳥先生の近況報告です。
 学生時代は、ラグビー部で学友会会長だった嘉鳥先生は、卒業後、昭和大学形成外科へ入局。2003年から、日本で唯一の診療科として誕生した聖隷浜松病院で勤務し、日本の眼形成分野の発展に寄与しました。2015年、沖縄県に専門施設がなかったことより、当院で診療を開始し、現在は、県内の複数の病院および聖隷浜松病院で、多くの患者を救っているいわゆる(多分?)神の手(God hand)の持ち主で眼形成外科の権威として活躍中です。恐れ多い存在になっている先生ですが、仕事を離れると学生時代のように気さくに話しかけてくださり、とても心強い存在です。
 私生活では、2021年4月から、本格的に沖縄移住し、大学生の娘さんは東京在住のため、現在は、ご夫婦で沖縄暮らしを満喫しています。
 最後に 馬場先生の近況報告です。
 学生時代、少林寺拳法部の長崎県出身の馬場先生は、卒業後、長崎大学熱研内科へ入局。2006年から沖縄県民となり、2015年から当院で呼吸器内科部長として勤務しています。
 2020-2021年は、コロナ禍に翻弄される日々でしたが、ここ沖縄は、人口あたりの感染者数がワースト1でした。感染者の急増に伴い、当院でも早い段階でコロナ患者の診療を始め、感染病棟最大28床を運用しました。その緊迫した現場の第一線で活躍していたのが馬場先生でした。診療の合間に医局で過ごす時は、心を落ち着かせるためか、静かに読書をしていたのが印象的でした。また、コンサルトには親身に答えていただくとても頼りになる存在です。なんといっても笑顔と私服が爽やかで、病院中の看護師間で、ダンディーな医師と評判が高いです。
 私生活では、海まで5秒の場所に豪邸を構え(海の家?)休みの日には、ご夫婦で趣味のセーリング・ヨットを楽しんでいます。
 以上、簡単にお二人の近況も報告させていただきました。
 最後になりましたが、麻酔学教室の斉藤教授はじめスタッフの皆様、国立呉病院、昭和大藤が丘病院でお世話になった諸先輩方各位に厚く御礼を申し上げるとともに コロナの終息と同窓生の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

髙橋 智佐子(旧姓:古堅)(第14期)