大木 いずみ(第10期)

近 況 報 告 
-  卒業から30年を振り返って  -

埼玉県立大学 健康開発学科 教授
大木いずみ(第10期)

 

1.島根医科大学の思い出
 大学生活は、親元を離れて初めて一人暮らしを、島根県という今まで馴染みのない土地で始めた。東京の私立女子高出身の私にはなかなかの冒険だった。
 気候も冬はずっと曇り空で、講義や実習もたいへんだった。しかし、雪が降ればスキーに行けるし、オーケストラに入って音楽を心から楽しいと思える日々だった。
 医学部での勉強は、新しいことを覚えて積み重ねることであり、試験や実習のレポートに苦しんだが、この知識は基礎となって確実に将来の助けになったと今ではその頃の経験に深く感謝している。

2.卒業から疫学・公衆衛生へ
 1991年に卒業し、その後は臨床研修医を2年間した後、東京23区の保健所(墨田区本所保健所)に就職し、1995年から当時の東京都衛生局地域保健課に配属になった。主に保健所の仕事を管轄する部署であった。
 臨床研修医時代は、指導医のもと貴重な経験を多く積んだ。毎日喜んだり落ち込んだりを繰り返しながら過ぎたように思う。「何を習得した」ということはないが、ずっと病院にいたので、病気になってできないことを考えるより、毎日できることを考えたいと願うようになり、予防・健康づくり、公衆衛生の分野に進んだ。そういった意味で保健所は地域保健の最前線であったが、当時の私には正直よくわからなかった。結局は医師として人々の健康に携わりたいと考え、また行政でも確かな発言をしたく、さらにはアカデミックな世界に憧れて、自治医科大学公衆衛生学教室の助手となった。そこでは、健康政策に必須な疫学・公衆衛生を学び、教育しながら自分も成長したように思う。

3.栃木県立がんセンターでの仕事
 2007年に栃木県立がんセンター疫学研究室の医師が退職するので、「やってみないか?」と、教授に言われ、「引っ越さなくてよい」という理由だけでOKした。ここでは「がん登録」という仕事をすることになり、私はどっぷりはまった。
 5年ぐらいして、がん登録は私の専門としてきた「疫学」とたいへん深く関わり、最終的には公衆衛生に活用し、人の健康対策に用いるものだと理解した。
 普通は、計画をたてて準備し、仕事を探すのだが、私の場合はやってみてじわじわくるタイプだと思う。一人では限界があるが、国の研究班に入れていただき、いろいろな形で学び、多くの人に支えられて進めてこられたと思う。栃木県がん登録が、先進県といわれる広島・長崎、宮城県、山形県、大阪府、愛知県に追いつきたくて必死だった。
 がん登録には、医師の関わりが大きく、私のような疫学・公衆衛生を専門とする者も多いが、病理や臨床医もかかわっている。また、医師以外でもがん対策に係わる実務者や行政担当者、生物統計の専門家など幅広い。登録のルールには様々な専門用語があり、臨床や病理、解剖や組織も知らないと、言葉の壁の前に挫折してしまう。大学での勉強のおかげで、真っ白の状態からより楽に頭に入った。当時の国立がんセンターでは島根医科大学卒業の先輩(西本寛部長)が活躍されていたのも心強かった。様々ながん登録に関係する仕事を経て、2020年には日本がん登録学術集会を開催(新型コロナウイルス感染拡大によりWeb開催)した。

 4.現在とこれから
 2021年から埼玉県立大学健康開発学科教授に着任した。若い学生とともに健康について勉強し、これからの彼らの活動の力に少しでもなれたらと思う。
 50歳を過ぎて新しい仕事に就くことはかなりたいへんで日々失敗しているが、それでも新たな発見や興味がわいて、迷走しながらも充実した毎日を送れることが幸せだと思う。健康開発学科に所属して、心身ともに不健康ではよくないので、自分なりの健康を維持していきたいと思う。