浮井 伸夫(第9期)
近況報告
医療法人医篤会 和田医院 副院長
浮井 伸夫(第9期)

9期のみなさんお久しぶりです。
卒業後はや32年、あっという間に過ぎ去った感じです。
この依頼を頂いてまず最初に思い浮かんだのは、懐かしい学生時代です。初めての一人暮らしの中、支え励ましてくれた仲間たち。試験前には、互いの下宿で資料集め、疑問点も話し合っているうち自然に解決に導いてくれる頼りになる優秀な友達、原徹君、森田清君、西村陽一君、河本俊彦君、元山浩貴君、竹内正人さん。ノートを貸してくれた同級生のみなさん(極めて単純明快にまとめられ頭脳明晰さが窺われるものもありました。和田智子さんだったとおもいます)。皆々様のおかげで学生生活をおくることができました。いくら感謝してもしきれません。ありがとうございました。
卒業後は地元にもどり横浜市大第二内科(循環器内科)に入局しました。大学院時代、はじめての当直の時、声をかけてくれたのが当時研修医だった12期の築地淳先生でした。私は大学院生で、当直は研修医とペアでおこなうのが習わしでした。不安の中、同窓の築地先生には大いに励まされました。また、彼は横浜エリアでの同窓会を主催され、私もよんでいただき、幅広い年代層での交流を図ることができます。
大学・大学院時代は、論文をいくつかまとめることができ、そのうちの一つが、Circulation Researchの年間Reviewで紹介されたのは嬉しい思い出です。その後教授から留学を強く勧められましたが、臨床を希望し、また遅れた臨床経験を取り戻すつもりもあり、当時医局関連施設で最も忙しいと言われた国際親善総合病院(横浜市泉区)で循環器内科医として勤務しました。同窓で8期の佐藤玲恵先生が麻酔科で勤務されており、時々声をかけて頂いたことを覚えています。年間300例以上の冠動脈造影及び、インターベンションを行い、あらゆる循環器急性期疾患を経験することができました。
そのころ、以前お世話になった院長先生から日立製作所の企業病院(日立横浜病院、横浜市戸塚区)へ来ないかと強いお誘いを受けました。健診センターを持ち、予防医学に興味を抱くようになったため承諾し勤務することにしました。病院には東大出身の先生が多く、皆さん気さくで色々教えていただき、臨床の幅が広くなりました。そんな中、尊敬する当時診療部長をされていた先生が国立国際医療研究センター病院へ移動することになり(現在病院長)、後任に私を指名されました。
その後最も不得手な管理職を、診療部長、副院長として過ごしました。
そろそろ開業しようと考えていた時、病院が法人化されのを期に、以前日立病院で勤務していた時の同僚で開業をしていた先生が、設備一式を準備するから一緒に働かないかと声をかけられ、現在の診療所で勤務することにしました。現在は、地域医療、医師会活動、支払基金審査委員等、以前と変わらず忙しく働いております。そんな中、東日本支部長の1期の細野克彦先生が主催される同窓会は、各地で活躍されている先生方とお会いすることができ、とても楽しみにしています。
こうしてみると、実に多くの方々に支えられた医療人としての人生、感謝、感謝です。また、患者さんと特にトラブルもなく診療を続けてこられたのも、学生時代教えられた医の心、患者さんに誠意をもって接する気持ちを持ち続けたお陰と思っております。これからも頑張ってまいりたいと思います。
コロナ禍での診療は妙に身体にこたえますが、皆さんくれぐれもご自愛ください。
横浜にお寄りの際は、是非声をおかけください。