山本 裕之(第7期)

近 況 報 告

静岡大学 保健センター 所長
山本 裕之(第7期)

 

 卒後30余年で初めて行われる予定の同期同窓会がコロナ禍で残念ながらお流れになったようです。遠方にいる私はといえば、コロナで行けるわけがない、でも行きたい気持ちのまま思考停止で無回答、幹事の上平先生には大変ご迷惑をおかけしましたのでこの場をお借りして深謝致します。
 卒後13年で医局(島根医大1内)を離脱し、この浜松の地に飛び込んだのが2001年1月1日付でした。浜松には“やらまいか”精神が宿り、よそ者の受け入れがとても良い町です。つい先だって永年勤続表彰を受ける運びとなりました。この20年間、週に1日の外勤で内分泌代謝専門外来をしながら、静岡大学で学生・教職員の健康管理を行なっています。全国の大学とネットワークがあるのが強みです。
 研究活動としては、“インスリン様成長因子(IGF)関連”、“肥満関連遺伝子”、“内臓脂肪の超音波計測関連”、“健診標準化関連”、そして最近、末端ながらPersonal Health Record(PHR)関連に関わっています。
 昔話になりますが、1992-1995年にカナダのマニトバ大学に給付また現地奨学金も得てポスドク留学しました。IGFBPノックアウトマウスで高名な故L.J. Murphy先生の”What’s new?”攻勢に耐えながら、1993年に幸運にもカナダ内分泌代謝学会より若手研究者奨励賞を頂きました。会場のバンクーバーCanadaPlaceで受け取った賞金を気持ち高ぶるまま全て遊覧ヘリにつぎ込んで家族で大空に舞い上がりました。ヘリスキーで有名なウィスラー山を折り返し、夕映え眩しいバンクーバーの街並み、港の光景は一生忘れることができません。
 カナダはよく冬夏2シーズンと言われます。私の居たウィニペグは大平原にあり、冬は平均-20℃が続き、買物へは特殊なフード付コートが必要ですが、研究室へは地下道経由なので上着は必要ありませんでした。年に数回、オーロラを間近に見るチャンスがあります(私は計3度でした)。一度、大きなオーロラを追いかけて郊外に出て、オーロラの真下に入った時には、自然の畏怖に体が震えました。
 同期の皆さんの健康はいかに?年齢的には心配するところです。私は、入院までは無いものの、多種類の内服薬のお世話になっております。30歳頃から悪化した咳喘息ですが、最近は化学物質過敏症も加わり、コロナ下での外来、会議等で咳を我慢するのに苦労しています。また卒後20年ぶりに、誘われるまま健康のために再開したバドミントン、大会出場という無茶をしてアキレス腱断裂、仕事への代償は大きく落ち込みましたが、同期の高尾先生のアドバイスには心救われました(さすが大先生です)。バドキチに戻った私は、現在も続けています(汗)。
 最後に、コロナ禍にめげず頑張る家族についてです。長男は、小児科専攻医となり、さらに良き伴侶を得たばかり、次男は獣医師になりたてで修行中、子育て(と言っても全てを妻に押し付けてごめんなさい)にひと段落した同期の妻は、皮膚科クリニックとジム通いに活き活きとしています。私は、体に不安を抱えながらも、倒れるまでずっと働き続けたいと願うこの頃です。
 自宅も職場も割とアクセスの良いところですので、近くにお越しの際には是非お立ち寄りください。皆さまのご活躍をお祈り致します。