神山 俊典(第4期)

近 況 報 告

医療法人社団 かみやま内科クリニック(院長・理事長)
神山 俊典(第4期)

 

 4期生(1985年卒)の神山俊典と申します。当時は島根医科大学でした。卒業35年以上が経ちました。卒業以来、一回も島根の地に戻ることはなく、正にあっという間の月日でした。島根医科大学に入学したのは、1979年でした。東京で生まれ育った私にとって、今のようにネットも全くなかった時代でもあり、島根県は異国の地のように思われました。今も、島根県と鳥取県の区別が付かない東京の人は大変多いわけですが、当時の私にとっても、実際多くのカルチャーショックを受けた記憶がありました。お店は、信じられないくらい早く閉まるし、大学の周りにも飲食店もほとんどないし、今は出来たそうですが、高速道路もない、などなど。しかし、住めば都で、友人にも恵まれ、楽しい大学生活を送ることが出来たことは、今も感謝を致しております。 

神山 俊典(第4期)

 さて、卒業時、大学に残ることも選択肢にありましたが、丁度そのころ、父が病気で体を壊したこともあり、自宅のある東京に戻ることになり、東京医科歯科大学第二内科に入局致しました。教授は、朝倉内科学で有名な武内重五郎先生で、臨床にも研究にも大変厳しい教えを受け、また大学や関連病院には数多くの優秀な先生方がいて、人材の宝庫のような医局でした。今の私があるのは、正にこのような環境で、臨床・研究を行うことが出来たためと思っています。第二内科は、総合内科で、腎臓内科・呼吸器内科・循環器内科・消化器内科・内分泌内科がありました。研修医が終わり、消化器内科を専門と致しました。臨床は消化器全般ですが、研究テーマは肝臓病学です。関連病院も、大変充実しており、大学はもちろん武蔵野赤十字病院や東京都立府中病院(現、多摩総合医療センター)などで、臨床経験を積みながら平成8年に学位を授与いたしました(1)。平成10年には大学に戻り、丁度そのころは、大学院大学に移行する準備期間でもありました。若い先生方のオーベンとしての仕事も兼ねていましたが、その若い先生たちが、今、大学や関連施設・各学会で大活躍中です。現在も時々お話をする機会がありますが、あの時に私に教わったことなどを今も感謝していますなどと嬉しい言葉をもらうと幸せな気持ちになります。 

神山 俊典(第4期)

 関連病院での仕事や研究がひと段落着いたところで、2006年10月2日に、東京武蔵野市にかみやま内科クリニックを開院いたしました。早いもので、2021年10月2日には、開院15周年を迎えるに至りました。今でも、東京医科歯科大学消化器内科の教室員でもあり、東京医科歯科大学の臨床教授を拝命しています。また、杏林大学医学部付属病院の研修医の指導も数年前から行っています。武蔵野市は私の地元でもあり、大都市の側面もありますが、井の頭公園など自然にも恵まれた住みやすい所です。特に吉祥寺は東京でも人気の街です。さて、当クリニックは新型コロナの影響を受けながらも順調に診療を行っています。現在、常勤医は私一人ですが、東京医科歯科大学から、非常勤医師が4人、看護師7名・事務常勤3名・事務非常勤5名の比較的大所帯で運営しています。メンバーも多彩で、事務非常勤の中に、ミュージカル女優さんや声優・アイドルの方、大手町の超一流企業のOLさんなどもいらして、時々彼女たちの舞台やTV番組を見るのも私の楽しみになっています。 

神山 俊典(第4期)

 さらに、赤坂や六本木、銀座にみんなで食事に行くことも頻回にあり、これも仕事のモチベーション向上になっています。弁護士を目指すTOEIC900点の超優秀な女性もいたのですが、お勉強が忙しくなり、退職されたことはとても残念でした。が、将来優秀な弁護士になってくれると信じています。平成29年11月3日に武蔵野市市政施行70周年記念式典が開催されました。式典において市政功労者として表彰状を頂きました。最後になりましたが、近い将来、私の基礎を作っていただいた島根県を訪れてみたいと思っています。皆様のご多幸を祈念致します。東京にいらした際には、本拠地の武蔵野市と東京のスポット・特に赤坂をご案内しますので、クリニックにご連絡いただければ幸いです。 

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